いざ関ケ原!!~大谷吉継との契りに散った武将・平塚為広 その1~

こんにちは(^^♪
くまくまです。

こちらは
IMG_0805 (2)
関ケ原大谷吉継陣跡にある案内板

この案内板には載ってないけれど
大谷吉継盟友とも伝わる武将が…

それは
平塚為広

関ケ原の戦いでは
大谷吉継の前方に布陣し

病身の大谷吉継に代わり
大谷吉継軍平塚為広軍指揮したとも伝わり

小早川秀秋の裏切りによって
東軍が押し寄せると

死を覚悟した
平塚為広

なんと

大谷吉継
辞世の歌を送っていたのだった

名のために捨つる命は惜しからじ つひにとまらぬ浮世と思へば
(名誉の為に殉じられるなら、自分の命など惜しまない。限られた人生なのだから)


この歌が届いた大谷吉継返歌として

契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも
(共に死ぬ約束があるのだから六道の分かれ道でしばらく待っていて欲しい。遅れて、あるいは先に死ぬことはあっても)


しかし

奮闘むなしく討ち死にしてしまった平塚為広
この返歌平塚為広に届いたかは不明なのだ


徳川家康に対して挙兵しようとする石田三成
大谷吉継と共に佐和山城にて「勝ち目がない」と諫言したとも伝わる平塚為広

もしかして(・・?
このときからは大谷吉継平塚為広は死を覚悟していたのかもと
ふと心によぎるくまくまなのでした

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