いざ関ケ原!!~知ってた!?浅野幸長 その2~
こんにちは(^^♪
くまくまです。
こちらは
浅野幸長陣跡にある案内板の一部
案内板にもあるように
関ケ原の戦いの後
紀伊和歌山藩37万6,000石の
大名となった浅野幸長
慶長13(1608)年になると
慶長8(1603)年生まれの
浅野幸長の娘・春姫が
慶長5(1601)年生まれの
徳川家康の九男・尾張大納言徳川義直と婚約
この婚約については
浅野幸長の豊臣家への
忠誠心も絡んでいるようで…
実は
浅野幸長は
慶長16(1611)年二条城で
豊臣秀頼が徳川家康と会見した際も
加藤清正とともに
豊臣秀頼の警固役として
会見の場にも
付き添うなど
徳川家康の天下でも
豊臣家への忠誠心を貫いていた大名だった
しかし
慶長18(1613)年
38歳の若さで病死
この死に関しては
徳川家康に暗殺されたという説もあるようで(・・?
浅野幸長が世を去ったことで
破談になったと思われていた婚儀も
慶長20(1615)年4月
大坂夏の陣直前に執り行われ
こうして豊臣恩顧であった浅野家は
徳川家と親戚関係となり幕末まで存続したのでした(^_-)-☆
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